2016年 11月 10日
Les Clients doivent être en silence ? 物言うお客は何とやら?? |

「評論家は自分では何も作れない。そういう人達のいうことに耳を傾ける必要はない」
「所謂グルメブロガーや食べロガーは何も解っちゃいない。無視して構わない」
「自分は自分の信じる道を行くのみ。他人の評価は気にしないし、言いたい奴には言わせとけ」
さて、これらの巷間よく耳にする、一見するともっともらしく威勢の大変よろしい言葉たちですが(かつてはそう言い放って憚らない時期もありました、自分にも)、今の私からすると、全て間違っております。と言うことは、かつての自分も間違っていたということです。
過則勿憚改。
「評論家は自分では何も作れない。そういう人達のいうことに耳を傾ける必要はない」
これは私が見習いの頃からずっと耳にしてきた言い分ですが、この業界に入った当時から、「それは間違っている。評論家は評論するのが仕事であって、料理を作るのは我々の仕事。評論家が料理を作る必要がどこにある?だったら世の全ての評論家なんてものは消滅し、評価というものがなくなる。そうすれば誰も何も判断できなくなる。想像できないでしょう、そんな世の中は」
これ、大袈裟でも嘘でもありません。常にそう言ってきました。評論家を絶対視しているのではもちろんなく、客観的な評価をする人間がいて初めて価値が生れるということ。価値は、それ自体として単体で存在するものでは決してないということです。
賛辞を鵜吞みにし、諫言には耳をかさない・・・誰だってそうです。誰もが陥りがちだからこそ、お店の側、特に料理人の思い上がりを助長する陥穽なのです。
とは言え、一方的な苦情と建設的な批判、諫言とおせっかいの峻別は必要です。自分にとって本当に的確な批判をしてくれる人、自分の感覚や今の基準がどうなのか?という自己検証の機会を時折与えてくれるモノ(料理人であればやっぱり他のお店の料理)、いや待て、本当にこれが今必要なのか?今じゃなきゃダメなのか?このままの考え方で大丈夫なのか?諸々、一瞬立ち止まらせれてくれる何らかの契機(自分の場合は圧倒的に読書)を絶えず与えてくれる事。
人、モノ、事。の3点セット。「人」だけに頼れば、情にほだされることもあるでしょう。「モノ」のみを信じれば、その裏にあるもの=淵源を垣間見ることも掴むことも叶いません。「事」をひたすら追いかけすぎると、現実との乖離は避けられなく、自分の立ち位置を見誤ります。
料理もお店も何事においても、バランスこそが肝要なのだと。
写真のデセール。フルムダンベールのクレーム・ブリュレ、赤ピーマンとフランボワーズのソルベ、黒イチジク、赤ピーマンのチップ、食べられる紅葉の葉と葡萄と、食べられない紅葉の葉と葡萄。
これも組み合わせを楽しんで頂く一皿。ストレートに美味しくはなく、赤ピーマンとフランボワーズのソルベのアンニュイなイメージを、フルムダンベールの独特な香りと塩気、甘味でもって、口の中で Dialectique に楽しんで頂ければと。
デセールは普通に作れば大抵美味しくなるものなので、国内で “ おおっ!凄いっ!!” というデセールには未だ出会ったことがないのです。ヘンテコなデセールを楽しんでくれるような、独特な感覚を持った方にこそ食べて頂きたいです。もちろん酷評されても、それはそれで受け入れます。
by latourelle
| 2016-11-10 22:34
| デザート&チーズ