2014年 08月 09日
Les cuisiniers sont-ils artistes ? 料理人はアーティストか?? |

表題の「料理人はアーティストか?」 いきなり答えを。
断じて違います。
定義の問題はあるにせよ、アーティストの表現の源泉と、我々料理人のそれは全く違います。食事を摂る行為はプリミティブなものでもありますから、安全性や健康への影響を無視することは出来ません。一方アートは、ある意味真逆でもありますよね?
抽象度をグンと上げて言えば、カオスの中から生まれるものや、絶対的価値観を崩壊させるものほど、人々に与える影響や後の世代に与える影響も大きくなるものです。
歴史を良く知れば、料理の世界の革新とは当に革新であって、決して革命ではない事が解ります。確かにフェラン・アドリアは革命を起こしましたが、残念ながら『 味 』という料理における最も重要な命題を蔑にしたという誹りは免れません。本当に酷かった・・・。もはやあれは食べ物とは言い難い。そのレベルの食事でした。メディアのお陰なんですね、結局はあのお店も。なにせお客よりも取材に来るメディアの数の方が圧倒的に多いくらいですから。
とは言え、アーティスト的な側面は当然あります。見た目の良さ、アヴァンギャルドな発想、従来の価値観にそぐわない素材の使い方、etc . . .。もちろんそれは確かに芸術的と言えるかもしれません。が、あくまで “ 芸術-的 ” でありこそすれ、芸術家などと思うのは誤りの始まりでしょう。
岡本太郎の半貴族主義的な解釈だけでなくとも、やはりアートとは、『 反発とデタラメ 』 こそが、あらゆるアートに通底するであろうその淵源ですから、料理とは そもそもの出発点 が違いすぎます。上辺だけを眺めたら、そりゃ料理人もアーティストでしょうが、根っこの部分は大きくその意匠を異にしているのです。
因みにアートとは、『 デタラメをこじつける論理 』というのが私の見解です。時事的に言えば、ろくでなし子さんがドンピシャ当てはまります。外国人記者クラブでの質疑にこう答えています。
「もし政治家になるとしたら、その政党名はどうしますか?」
「政党を作るとしたら、やっぱりオ〇〇コ党です」
はい、もう無茶苦茶 & デタラメですね。それを “ アーティストの言 ” ということで丸め込むわけです。一般的にはアウトですし、誰からも相手にされませんが、アーティストというある種の特別区域にいますので、それでOKなのです。
例えば、芸能人の人達の写真や絵画が、特にその道の専門的経験を積んでいなくとも、アートという括りで展示されたりすることはよくあります。アートと言われれば、その奥に潜んでいる経験や履歴はチャラになるのでしょう。
仮にそういう人達が発表した論文があったとして、誰がいったい興味を抱くのでしょうか?おそらくはフルシカトで嘲笑の的になりかねず、残念ながらアート作品ほど、世間の耳目を集めることすらままならないはずです。何故か?簡単です。アートはデタラメがその根拠、論文は論の整合性がその根拠であるからです。後者にはやはりそれなりの訓練が必要ですから、おいそれと書けるものではありません。
例えば、芸能人の人達の写真や絵画が、特にその道の専門的経験を積んでいなくとも、アートという括りで展示されたりすることはよくあります。アートと言われれば、その奥に潜んでいる経験や履歴はチャラになるのでしょう。
仮にそういう人達が発表した論文があったとして、誰がいったい興味を抱くのでしょうか?おそらくはフルシカトで嘲笑の的になりかねず、残念ながらアート作品ほど、世間の耳目を集めることすらままならないはずです。何故か?簡単です。アートはデタラメがその根拠、論文は論の整合性がその根拠であるからです。後者にはやはりそれなりの訓練が必要ですから、おいそれと書けるものではありません。
私は彼女と同じジャンルに括られるなんてことがあれば、即刻この仕事を放り投げるでしょう。デタラメでは料理は作れません。フランス料理の歴史を知れば、おこがましくて料理人はアーティストだなんて寝言は言えません。その偉大さに畏怖することはあれど、あたかも自分がクリエーターであるとか、ゼロから創造しているだとか、そういう類の戯言には付き合いきれません。
ミシェル・ゲラールもアラン・デュカスでさえも、フランス料理の前では永遠にアプランティだと言っています。つまり、大きな歴史のうねりの中では自分なんかは単なる一見習いだと・・・。あれほどの巨匠達であっても。
写真の料理もまた、王道的フランス料理です。シヴェというと、ジビエを思い出しがちですが、淡水魚の内臓を使って仕立てるシヴェも、フランス料理の歴史の中にはしっかり存在しています。ここでは鮎で仕立ててあります。
鮎の香りと苦みが溶け出た赤ワインのソースに、無花果の甘味とジャガイモのカリカリのアクセント、ゴボウとコーヒーで作った土の香りのパウダー、最後の一押し的に鮎の全てを詰め込んだラビオリ。各要素をまとめて一緒に口へ運べば、鮎の全てを感じて頂けます。頭と中骨も煎餅状に揚げてありますので、そのまま食べられます。見た目だけの飾りでは決してありません。
その後に、鮎のコンソメで〆て頂きます。鮎のエッセンスを全て抽出した、試作で失敗しまくりの苦心の末に出来上がったコンソメです。手前味噌になりますが、なかなかの出来栄えです。因みに原価とかかる手間はハンパないです。色んな意味でギリギリです。
夏の間だけの一皿ですので、是非どうぞ!!
by latourelle
| 2014-08-09 00:20
| 料理