2014年 04月 11日
Le film 映画の雑感。 |
ご覧になられた方も多いかと思います。壮絶な描写です。目の前の人間の『死』がこんなにも easy に扱われていた現実がつい150年前とは、にわかに信じ難いものです。
二つの世界大戦を経て、人権や人の生命の尊さが見直されたという事実を鑑みても、やはり人間は大きな犠牲を払うことでしか、その生活様式や基本的な思考回路の変化は望めないようです。フランスの高名な哲学者 ジャン・ピエール・デュピュイも東日本大震災後に著書でそのように言っています。
『 言葉によって知恵や情報がもたらされるにせよ、その言葉が向けられた人々の“信念の体系”に入っていかなければ、知るだけではその知識を受け入れ、結果として行動には至るには不十分なのである 』
実はその前にも立て続けに社会的メッセージの強い映画を観ていました。
・リンカーン
・風立ちぬ
・42 ~世界を変えた男~
・大統領の執事の涙
共通していることは、『 人間の脆さと、それを克服し強く生きるための担保を誰もが必要としている 』ということです。信じることの強さ という、今の日本社会が近い昔に置き忘れてきたものかもしれません。近い昔にです。
宗教的な道徳規範やエイトスという縛りのない日本では、何をどう信じればいいのか?個人の尊厳を各人が常時確認出来る手段としての相互承認、やはり欧米では宗教がその役割を大小あるにせよ、かなりの部分で果たしているのは歴史が証明しています。
大学生の時分、フランス留学中の1997年に、パリ郊外のロンシャン競馬場にローマ法王の呼びかけで100万人近い人が集められました。このような人数を動員できる 『 大いなるナニモノか 』 は、宗教をおいて他には考えつきません。マイケル・ジャクソンの全盛期なら可能性もあったかもしれませんが・・・ふざけてる場合じゃありませんね。
その 『 大いなるナニモノか 』 とは、やっぱり JUSTICE=正義 なんですね。あるコミュニティーの誰もに共通する、個人の善=good を超越し覆い尽くす 大いなるナニモノか。
軌道修正する力の源泉。揺り戻しの基準。意思決定の速さ。やはりそういったベースを失った(端からなかった?)国や個人はどうすればいいのか?いろいろ考えさせられる映画でした。
因みに『 風たちぬ 』 は、これからの日本社会のように壊れゆく社会であっても淡々と生きてゆくしかない ―― 潔いあきらめとも、現代ニッポンと安倍政権への皮肉ともとれるメッセージを受け取りました。
「あなた、生きて」
「風は吹いているか? ならば生き(=行き)たまえ!!」
「風立ちぬ、いざ生きめやも」
安倍総理はどう感じたのだろう?
by latourelle
| 2014-04-11 23:34