2014年 04月 09日
Le gigot d'agneau rôti 賄でジゴ・ダニョー |

賄で、肉の塊を『 rôtir 』 をするのは、言うまでもなく最高の学びの機会となります。例え失敗しても、そこから得られる『経験知(≠経験値)』は、どんなに有名な料理人の机上のレッスンよりも大きな糧となります。
若いころは休みの日にも、自宅で練習したこともあるという料理人は多いのではないでしょうか。
ですが、ただ単に「焼く」だけでは、弊店ではやらせません。必ず事前に肉の掃除の仕方、相性の良いガルニとの組み合わせ、ソースの仕立て、火の入れ方全般のプロセス(何°で何分では即刻却下!)、全てを入念に下調べをしたうえで、事前にチェックをしてかたの GO となります。
何故か? 至極簡単です。事後に 得られる収穫の大きさが全然違ってくる からです。
料理に限らず何事にも通底するロジックですが、『 予習 → 実践 → 復習 』 という工程を踏むことが、なにより最大の収穫を得るための道程となります。その次に望ましいのは『 予習 → 実践 』 で、復習を行わないというもの。体験的に、所謂 “ デキル人 ” にこのパターンは多いように思います。復習がすでに『 実践 』 の中で反復されているというパターン。これは正しく選ばれた人間にのみ可能な行為です。
三番目に望ましいのは『 実践 → 復習 』 というパターン。同じ失敗を繰り返すリスクを軽減するための予防策。同じ失敗を2,3度繰り返しただけでマスター出来る人のことを “ 天才 ” という言い方も出来ます。一回の失敗で出来るなんで限りなく嘘です。少なくとも料理の世界においては。だからこの業界に天才は、ましてやニッポンのフランス料理業界に天才なんぞ存在しません。他人が評するのは勝手ですが、そういった言説に出くわしたときにはこう考えて頂いてほぼ間違いありません。
個人的に強烈な管見に囚われているだけの戯言。
しかし、料理人も食べ手も評論家も、その誰もが認めるような料理の天才となると話は別です。現代で言えばジョエル・ロブションやピエール・ガニェールといったところでしょうか。
解りやすく言うと、『 単なる情報の差と、それを処理するCPUの性能の差 』 でしかないわけです。
余りに軽々しく天才と言う文字が躍るニッポンのメディアの、その耐え難い浮薄さに辟易しているのは私だけではないでしょう。STAP 問題然りですね。
賄の話からなんでこんな処に脱線してきたのか・・・・
そうそう、一回の失敗でマスターできたら天才というところからでした。
一番ダメなのが『 実践 』 だけというパターン。これならやらない方が経費の無駄使いにならないだけマシ。経験と言うものは全く異質のものを迎え入れる儀式のようなものです。準備もしないで、リスクもなくそれを完遂するなんて到底無理。
“ 経験知 ” で終わるか、“ 経験値 ” とすることが出来るかは・・・そういったことを気付かせてくれる人や書物と出会うことが、必要不可欠な要素。
一期一会の本質と言えるかもしれません。
賄のジゴ・ダニョーであっても、DECONSTRUCTION する事で、ここまで引っ張ることも可能です(笑)。簡単です。
by latourelle
| 2014-04-09 18:19
| 料理