2017年 01月 20日
Les Clients doivent être en silence ? 物言うお客は何とやら?? |
「所謂グルメブロガーや食べロガーは何も解っちゃいない。無視して構わない」
ゲストの方からはお気遣い頂き、よく言われはしますが、お店側の人間としましては正直なところ、これ等の影響を無視することは出来ません。特にフランス料理に携わる身としては。これが日本人に馴染みの深いジャンルの料理であれば、多少は強気に出ることも叶うのかもしれませんが。
理由は簡単です。殊更言うまでもなく、フランス料理が地球の反対側の外国の文化や料理であって、基本的に日本人の味覚や感覚とは相容れないからに他なりません。
「合わない」とまでは言い切りませんが、やはりその隔たりは依然大きく、敢えて乗り越える必要性をこのご時世に感じることは少なくなりましたが(日本の標準がある程度料理の世界で認められたお陰で)、少しでも漸近するものなら、こんなに喜ばしいことはありません。フランス料理人の立場からのみ言わせて頂ければ。
そしてその隔たりを埋め合わせてくれるのが、件の(?)ブロガー諸氏、自称他称のグルメ評論家、最近特に世界を股にかける “ セカイヒョウジュンを俺は知っているんだぜ! ” 系インフルエンサーの方々なわけです。これは良い意味(≒良い影響)も悪い意味(≒悪い影響)も、その両方を含みます。
では先ずはその良い影響の面から見ていきます。
誰もが他者との会食のために、少なからず飲食店をメディアで探すという経験はあるはずです。コンパ、デート、接待、仲間内での会食、飲食店の検索をしたことがないという人を探す方が今時不可能と言えます。そんな時、食べログは驚異的な威力を発揮します。これは皆目一致の事実として、お店側の人間であれば無視できません。どんなガイドブックよりも、いかなる広告媒体よりも、今はもう「入口」としては、他のメディアとは厳然たる差があります。
ただ、この評価=点数が集客にダイレクトに結び付くかと言えば、それは違います。あくまで入口です。導線です。敷居をお手軽に下げてくれているわけです。
そこでは、彼等彼女等の投稿内容が正しかろうと間違っていようと、それがお店に関心を持つ第一歩になることは間違いないことであって、リテラシーのある方であれば鵜呑みにすることはないでしょうし、そうでない方は鵜呑みにすることが多いのでしょう。
かくいう私は、対食べログの対戦成績は、圧倒的に〇〇越しております。住所やおおよその金額、定休日や連絡先の情報源としてはピカ一!! その一方お店の水先案内としては・・・おっと!! 口が滑りそうになりましたので、敢えて濁しておきます。ご想像にお任せ致します。
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悪い面としましては、言い出すとエンドレスになるので、手短に。
先ず、偽名での投稿になりますので、その時点で「信用」という面ではその他のネット媒体と同じく、格段に劣るうえに輪をかけて、某資格ビジネスと深い結びつきが批判されております。火のないところに煙はたたぬ・・・。今や予約システムを盾に取り、マイクロソフト & インテル連合の如く『 囲い込み & 抱き合わせ 』 商法で、立場の圧倒的に弱い飲食店側に昨秋、恫喝まがいの電話が鳴り響いたという、私を含む経済的バッファのない店主達の慟哭にも似た叫び声、SNSを通じた悲鳴が数多く見受けられました。正義を僭称する側は意にも介さないでしょうが。
これは完全に構造やルールを作った側が正義であるという、行き過ぎたキャピタリズムの表徴的且つ極めて特徴的な弊害です。インターネットの普及によってその悪害の度合いは ー 可視化されることで、瞬時にして多くの人々の怨嗟の対象となり ― 極限まで高まっています。
いえ、『数の正義』 を全面否定をするつもりは毛頭ありませんが、功利主義的な割り切りで、小さな(≒個人的な善)カタルシスがメディア等々の後押しでもって正当化される人達は良いとして、そうではない、微々たる差であれ割を喰う側の人達の抑圧された感情はどうなるのか??
そこに上手く入り込み、利用したのが明日20日に就任式を迎える次期アメリカ大統領ですね。フランスもルペンの顔をメディアで見る機会が俄然多くなりました。しかもご令嬢までセットで。トランプファミリーと同じかい!!
小難しくなりましたが、先の件にだぶらせてみてください。何をか云わん哉。です。
写真の料理。
鮑とキャビアのカッペリーニ。初めてシェフを務めた十年前から夏をメインに、今でも時々作っている個人的に思い入れのある一皿。
材料は自分にしてはシンプル。キャビア、鮑、きゅうり、パスタ、少量のクリームとライム、花穂。
鮑のミネラル感と旨味を引き出すために、包丁で切る人の体温が2~3℃上がる位まで細かく叩きます。私はやりません。暑いの嫌いなので、若く活きのいいスタッフにやってもらいます(嘘)。そこにクリームとライム、水気を絞ったキュウリで調味。何故キュウリ??青臭さが磯の香りと好相性だからです。
パスタは固すぎず、柔らかすぎずに茹で上げ、鮑のすり流しと牡蠣のピュレ、オリーブオイルで和えて、旨味と滑らかさを付与。
個人的な話しになりますが、この料理の思い入れとは、17年前に働いていた銀座の某レストランのスペシャリテの残り物のアレンジで、シェフ専用の賄いでお作りし、当時は日本一と崇めていた(今どう思っているかは訊かないでください)シェフご自身から直接褒めて頂けた一皿だったからです。
残り物のアレンジが、今ではお客様に決して安くはないお値段で食べて頂き、更にご好評頂ける一皿にまで・・・。
解らないものです。と言うか、毎日ワカラナイコトだらけ。
与えられたそれぞれの場所で、裏切ることなく精いっぱいやるだけ。そうですね、どんな世界の片隅であっても。
浦野すずから北条すずになり、片手を失いつつも他者との関わり合いの中で居場所を見つけ、いや、その他者の承認の眼差しがすずに居場所を与える。さしずめ、当時のシェフからのお褒めの言葉が、残り物のアレンジの一皿に17年後の居場所を与えてくれたのかもしれません。
ここ数年味わったことのない、哲学的にも深い感銘を受けた映画でした。
そういった深くマニアックな琴線に触れられる一皿を作っていきたいと常々思っております。
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by latourelle
| 2017-01-20 01:34
| 料理